個から始まる和づくりの一歩へ
みんなで食べよう おいちなす
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おいちなすのお話
明治の初め頃村では、雨もなく、イナゴの被害で困っていた。
下大市村の高木種蔵さんと久保田清右衛門さんは茄子の栽培を考えつき、河内、和泉地方を巡視し、ついに
明治16 (1883)年、寒風を避けるために苗床の周りを藁で囲い、油を塗って光の透過性と強度を高めた障子で
蓋をして育てる茄苗の早期育成法を開発しました。
まさにビニールハウスのさきがけです。
二人はこの方法を村中に広め、下大市村では他所より早い時期に茄子の苗が生産される様になり、県内外か
らこの苗を買い求めに多くの人が来て、関西で広く作られました。
この「おいちのなす」により村は窮状から救われました。
大正11 (1922)年、村人は二人に対する恩義と功績を讃えるために、下大市村の西入口、西国街道沿いに
頌徳碑を建てました。 ( 頌徳碑は震災後に下大市会館前に移設されています。)
近年はビニールハウスの普及や茄子の早取り用品種が次々と開発されて、「おいちのなす」は生産されなく
なりました。
頌徳碑 (下大市会館前)